私という名のヒロイン
前の記事の続きです。
この記事の最後に、「自我」と書きましたが、
これはエゴとか、自意識とか、そういう「私を私たらしめるもの」
の意味です。
でも、もっと適切な言い方はないかなと考えているうちに
かなり日にちがあいてしまいました。
でも今、もっとも私のイメージに近いのは
「私という名前のヒロイン」だろうと考えています。
私たちは、普段「私」というひとつの像を内側に抱いて
生きています。
そして、その場の状況に応じて、自分のおかれている
立場から役割を判断し、その役を演じます。
その「私」はあるときには、片思いをしている人です。
あるときには、仕事をしている人になります。
どんな場所でも、「私」は主人公です。
そのとき、たとえば「私」が片思いをしているからといって
「辛い、切ない」という感情引き出し、
それを自分の中心に据えて、ストーリーを紡ぎ出すと
そこからあなたは悲劇のドラマの主人公になります。
一方で仕事をしていて成功した場合、
「すばらしい」という満足感を覚えると、
そのドラマは感動巨編になります。
そして片思いの「私」に不幸という意味づけをし
成功している「私」に幸福とラベリングをします。
しかし、こんな単純なもので幸せが決まるのでしょうか?
本当に片思いは不幸でかわいそうで、
成功は幸福なのでしょうか。
片思いが成就すれば「幸せ」になるだろうし、
また、その恋が破綻すれば「出会わなければよかった」になるでしょう。
仕事も、成功したのはいいけれども、そのためにほかにやりたいことを
犠牲にし、ある日町で親子連れを見かけて
「私は今まで何をしていたの?」と思うかもしれません。
人間は未来に向かって進む生きものです。けれども、
未来のことばかり考えると、不確定要素が強すぎて
今、どうしていいのかわからなくなってしまうでしょう。
それより、置かれている状況をありのままに
見つめてみましょう。
片思いは、不幸でしょうか?
それ以前に、片思いとはそもそもなんでしょう。
誰かに恋をしていること。
それだけの現象です。
「誰かを愛する力がある」という現象だけに注目すると
不幸ではないどころか、かえって
パワフルな印象を受けます。
でもここで、
でも相手が振り向いてくれないのとか、
みんな彼がいるのに自分だけいないとか、
これまでずっとひとりだった、とかいつも報いられないとか
そういうストーリーを付与してしまうから
片思いが思い切り辛くなってしまうのです。
愛していることだけに集中していたら、
今は決して不幸ではありません。
こんなふうに、あらゆることからわいてくるストーリーを引き離していくと
案外自分が不幸ではない
それどころか、力をもっていることに気づけるでしょう。
それが、恒常的な幸福感の入り口です。

